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昨日、自分の好きな北海道ローカルの番組のディレクターが
ドラマのエキストラ募集の際、
怪獣映画についてこんな事を語っていました。
『●●でございます。
こんにちは。
ドラマで大事な登場人物は誰か。
それはエキストラです。
勿論、奥さん。
エキストラ募集を想定しての、この語りだしではありますよ。
そらそうです。
しかしながら、本音でもあるのです。
私の幼少時、
それはそのまま日本の高度経済成長の始まりの時代でした。
そんな時代。
なぜか日本は怪獣ブームでしたよ。
身の丈数十メートルもあるという怪獣が、日本の都市で暴れまわり、人の暮らしを破壊し、町を廃墟にしていくのです。
そんな破壊映画が、毎年、何本も何本も子供向けに作られていたのです。
暴れまわる怪獣は、何かに怒っていたのだと思います。
経済偏重の日本社会に怒っていたのか、それとも国民生活を不幸に陥れる公害に怒っていたのか、それともそれとも、先の大戦で世界中が受けた負の教訓を踏みにじるかのような原水爆実験、軍拡競争に怒っていたのか。
それとも、只々、虫の居所が悪かっただけだったのか。
そのあたり、よくはわかりませんが、
とにかく怪獣は怒っていたのです。
そしてその怒りに観客も共感して怒っていたのでございます。
遠くへ行きたい。
ディスカバージャパン。
人間らしさを置き去りにして、経済だけがぶよぶよと成長していく時代。
ゴジラもガメラもその頃のヒーローだったのです。
しかし、隆盛を極めたその怪獣ブームも、
1970年の大阪万博のお祭り騒ぎが終わった後、
掻き消えるように、衰退してしまったのです。
私は、怪獣ブーム衰退のその原因が怪獣映画のエキストラにあるような気がしてならないのです。
怪獣映画のエキストラ。
それは、襲い来る、巨大な恐怖から逃げ惑う群集です。
その逃げ惑う群衆の逃げ惑い方が時代と共に手ぬるくなっていったのです。
巨大怪獣が目の前に迫っているのに、やる気無い走りを見せる長髪の若者エキストラ。
懸命に走ることが馬鹿らしいとでもいうような顔で、とりあえずふらふら走るお嬢様エキストラ。
せっかく物語が盛り上がり、大怪獣が品川沖から日本に上陸し、恐怖は最高潮だというのに、怪獣の足元で、気恥ずかしいといわんばかりの半笑いの表情を浮かべ、とりあえず逃げてますな態度の群衆に、ぼくは子供ながら、がっかりしたのです。
高度経済成長で暮らしが好くなる一方のあの頃、
日本人にとって巨大な恐怖をイメージすることなど困難なことだったのでしょうか。
だから、走って逃げるほどの恐怖の意味が、とうとう見当たらなかった。
もう分からなくなっていたのでしょう。
1970年。
太平洋戦争終結から25年が経っていました。
ところが、1954年制作の「ゴジラ」を見てみますと、その画面の中に迫真の演技で逃げ惑う群集がいるのです。
その逃げ方が、凄い。
大八車に家財道具を乗っけて怪獣から逃れようとするおっさんの走りも顔も本気なら、
幼児を背負い、小さい子供の手を引きながら逃げ惑うおばさんの顔も引っ張り具合も本気なのです。
あの映画のエキストラには見えているのです。
戦後8年9年しか経っていなかった当時の日本人のほとんどには、夜毎の空襲で自分に向けて降り注いで来る爆弾や焼夷弾から必死で逃げた経験があったのです。
彼らには襲いかかって来る巨大な恐怖が当たり前のように見えていた。だからイメージ出来たのです。
だから本気で走れたのです。
その逃げ惑う群集として参加しているエキストラの想像力が、大怪獣映画を大いに盛り上げ、あれだけの怪獣ブームを支えていたのだと、私は確信しているのです。
1960年代の怪獣ブームの隆盛の影には、
恐怖をイメージできるエキストラの存在があったから。
そういう事なのです。
以上のような経験を踏まえた私は、今、確信するのです。
映画やドラマの説得力を支えるのは、エキストラの力だと!
ということでね、奥さん。
我々のドラマを陰で支えてやろうという、
やる気のみなさんの御協力を切に願いながら、
●月●●日(●)にエキストラ大募集いたします!
場所は北海道・●●市内。
詳細は●月●日(●)に立ち上げます応募専用HPで御確認くださいませ!
頼みますよ奥さん!
もちろん奥さんでない人もでございます!
本日は以上!
解散!』
私もエキストラの経験はありますが
真剣にやっていたかと聞かれると
たてには首を振れません。
この記事を見ると
今後の怪獣映画に求められる物は
素晴らしいCGや超豪華な俳優陣ではなく、
何十億の制作費やかっこよさを追求した敵怪獣でもなく、
怪獣から逃げ惑う人々の恐怖感を最大限に伝える
エキストラの方々の本気の演技なのではないかと
感じさせられます。
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